みんなはアートを観て何を考えてるんだろう?(六本木アートカレッジ2012 『大宮エリー的「言葉の力」』より) | 不問日報-号外

2012年10月11日木曜日

みんなはアートを観て何を考えてるんだろう?(六本木アートカレッジ2012 『大宮エリー的「言葉の力」』より)

2012年10月8日(月)、運動会が日本各地で行われる「体育の日」という祝日に、アートイベントに足を運ぶ体育座り系男子の私です。こんにちは。(でも中学はバスケ部)

篠山紀信や横尾忠則などの巨匠も名を連ねる「六本木アートカレッジ」に行ってきました。「カレッジ」というだけあって、複数の講義の中から自分が好きなものを選んで参加できるという形式です。朝から晩まで、6個分聴講し、おなかいっぱい・・。当日は帰るなり頭痛がして12時間寝ましたね。


今日は朝一の講義だった 『大宮エリー的「言葉の力」』(大宮エリーさん ✕ 生駒芳子さん)で気になった点その1(その2も書くかもしれない)について。

結論という名の問いはタイトルの通り、
「みんなはアートを観て何を考えているのか?」ということ。
主に大宮エリーさんのアートの観方で、感心したことについてです。





講義の概要


念のため、概要をサイトから引用しておくとこんな感じの講義でした。

2006年に大ヒットした宮崎あおい、西島秀俊主演の映画『海でのはなし。』で監督デビューした大宮エリー氏は、映画監督の他、映像ディレクター、演出家、脚本家、コピーライター、作家、ラジオパーソナリティーと、マルチな表現者としての顔を持っています。
私たちの気持ちや、毎日の生活の中にすっと溶け込み、心を温かくするメッセージを放つ大宮氏の作品は多くの人から支持されており、2012年2月に渋谷で開催された初の個展「思いを伝えるということ」展では1万人以上を動員し話題となりました。
広告、映画、脚本、本、そしてアートへと、境界線なく活躍する大宮氏に、様々な表現の形を通じて伝えることのできる「言葉の力」について伺います。
 

恥ずかしながら、大宮エリーさんについては断片的にしか知りませんでした。
が、実際にお話を聞いて好きになりました。

非常に自由な感じの方で、

「今後何かやりたいことは?」という問いに、
「いやー、何もやりたくないです。なんでみんな何かやりたがるんですか??」

とおっしゃるなど、会場で笑いが起きることもしばしば。
1時間という枠の中で、テーマに沿ったお話もしつつ、雑談も交えつつ、質疑も複数あるなど、この日私が聞いた講義の中では一番バランスのいい、すてきな講義でした。



大宮エリーさんが刺激を受けるのは、映画よりも「アート(&ごはん)」


幅広いジャンルで活躍している大宮エリーさん(以下馴れ馴れしくも「エリーさん」とする)が、日頃刺激を受けているものは?という問いに対する回答が「アート、そしてごはん」でした。(ごはんの話はちょっとだけだったので保留)

アートと対比されたのは映画。
違いは何かというと、ストーリーを与えられるのか、ストーリーを自ら再生するのか、の違い。映画はつくられた1つのストーリーが与えられるけれど、アートの場合は、観た人の中で自分のストーリーがそれぞれ再生される、それがアートの魅力、ということでした。

例えば夕陽を見て思うことは人それぞれ異なるので、そこには人の数だけストーリーが自己再生されている、そんな感じです。故郷のことを思い出している人もいれば、大切な人のことを思う人もいるでしょう。

夕陽はいわば自然ですが、自然とアートは近いかもしれませんね。
思えば、私は多摩川の河川敷に行くと10代後半の悩ましい日々を回想します。
悩むと河川敷に行く癖がつき、悩ましい日々を回想して悩みに拍車がかかるという。



みんなはアートを観て何を考えているのか?



自分はアートを観たときに、ストーリーを自己再生するような経験がほぼありません。
学生時代から美術館に足を運んでいますが・・みなさんはいかがでしょうか?
実はめくるめくマイ・ストーリーが再生されているのですか!?

正直、色がいいね、形がいいね、何かいいね、みたいな感想で終わるのが99%です。
残りの1%は、稀にすごいな思って記憶に刻まれるものがあるくらい。
(長谷川等伯の松林図屏風など)

やや賢そうな引用をすると、デュシャンは
「人が何を見ているかは見えるが、人が何を聞いているかは聞こえてこない。」
と言ったそう。

みんな、アートを観て何を考えているのでしょう? 見えないです。
言葉にして交換してみると、何か発見があるのかもしれませんね。



「アートって省エネだな〜」(エリーさんがどう観ているかの例)


ちなみにエリーさんはエアーズロックを命がけで登ったそうですが、まさに「地球のへそ」で、地球が球体に見えるところだったそうです。「人間なんてちっぽけな存在なんだな」そんな感動をおぼえる場所だったとか。

http://www.ats.co.jp/product_info.php?products_id=607

ここでまた「え・・」と思ってしまいましたが、エリーさんが直島のベネッセハウスでブルース・ナウマンのアート作品『100年生きて死ね』を観たとき、先のエアーズロックの経験が自己再生されて感動をおぼえたそうです。

今この瞬間も生まれる人がいたり、死んでしまう人がいたり・・
地球の縮図がこの作品から見える(ということではないかと)

http://blogs.yahoo.co.jp/degitarudetanoshimu/20306429.html

「直島で作品を観て、エアーズロックの感動を思い出せるんだから省エネだよね(笑)」的なことをおっしゃっていて、そんな風に観ているんだ、と感心しました。そういう経験はないな。やはり感受性の違いなのかな。

こういう風にアートを観ている方がいる、それは発見でした。
アートはブルース・リー的に目を閉じて見るとよいのでしょうか。
Don't think, feel.



そんなエリーさんのアート展



知人の間でも評判がよく、気になっていながら結局行けなかったのですが、『大宮エリー 思いを伝えるということ 展』というアート展が東京で開催されていました。

その中の「言葉のプレパラート」という作品で、複数あるプレパラートを選んで顕微鏡でピントを合わせると、何らかの言葉が見える・・というものがあるそうです。

そこでエリーさんが接したエピソードとして、「いつも一緒だと思っていた」という言葉を見た女性が夫(恋人?)のことを思い出し、あとの作品も観ずに夫のもとへ向かってしまった・・というお話がありました(え、まだ作品あるんですけどーと心の中で思われていたそう)。

これもストーリーの自己再生ですね。

この場合はアートの力に、言葉の力というのも加わりますが、私はどちらかというとココでやっと納得がいきます。私も1行の言葉で救われたり、ある時の気持ちを思い出したり、そんなストーリーの自己再生をする経験がありました。言葉に関してはまた次回(書ければ)。

そういうわけで、異様なまでに混雑する美術館が珍しくないこの日本国において、みんなアートを観て何を考えているのか? 興味深いので、一言いただける方はよろしくどうぞ。


<ご参考>
このアート展、今は京都に巡回中(2012年9月29日(土)-10月28日(日))ですが、書籍も出ているようです。知人のmerrieさんのブログも写真が豊富で素敵ですので、ご覧いただくと雰囲気が分かるかもしれません。